「されど塩」が生まれるまで
「流下式枝条架併用塩田(りゅうかしきしじょうかへいようえんでん)」の再現を決意!
日本有数の塩田地帯だった瀬戸内海沿岸には、1953年~1971年の間「流下式枝条架併用塩田」が立ち並んでいました。この塩田を用いてつくられた塩は、日本の製塩史上、最も食用に優れていたと言われており、「伯方の塩」のお手本となった塩です。
しかし、1971年「塩業近代化臨時措置法(えんぎょうきんだいかりんじそちほう)」の成立で塩田の塩がなくなりました。そして、世界でも食用にした前例がない「イオン交換膜製塩」の塩に切り替わる事になったのです。
それから20年以上経った1997年。それまでの法律が廃止され新しい法律が出来たことで、「イオン交換膜製塩」以外でも日本の海水から自由に塩をつくれるようになりました。これをきっかけに、塩田製塩の技術継承のために「流下式枝条架併用塩田」を再現し、当社誕生以来の想いであった塩田での塩つくりを決意したのです。そうして2005年に、プロジェクトを発足しました。
一から自分たちの手で形に!
プロジェクトでは、社内に残る塩田に関する資料を調べることから始めました。この資料は当社が創業してまだ間もない時期に、当時の工場長が伯方島にあった塩業組合(※)で焼却処分されそうになっていたところをもらい受け大切に保管していたものでした。この資料から、流下式枝条架併用塩田の構造について多くのことを学びながら、兵庫県赤穂市の海浜公園に設置されている流下式枝条架併用塩田も参考にし、従業員の手で設計図を作成しました。
建設に必要な材木や竹笹の選定や調達も自分達で一から行いました。竹の枝を組んだ「枝条架」つくりでは、昔の塩田を知る伯方島の元技術者に協力を求め、先人の知恵から多くの事を学びました。
プロジェクト発足から5年後の2010年10月。試行錯誤の末、伯方の塩大三島工場の敷地内に「流下式枝条架併用塩田」を再現できたのです。それは伯方島の塩田が姿を消してからから約40年後のことでした。
※塩業組合とは・・・地域の製塩業社をとりまとめる組織。
昔の技術を知る事で品質が向上!
流下式枝条架併用塩田を用いて「されど塩」をつくる中で、これまで以上に海水の性質を知ることができました。この経験は「伯方の塩」をはじめ、全ての塩製品の品質向上(成分安定化)に活かされています。
また、これまで「伯方の塩」をつくってきた技術が「されど塩」にも取り入れられています。
「されど塩」のつくり方
流下式枝条架併用塩田(りゅうかしきしじょうかへいようえんでん)の仕組み
大三島塩田の詳細
敷地面積 約2,000㎡(約600坪)
枝条架 高さ5.5m、幅8m、長さ35m(15列)
流下盤 幅10m、長さ20m×4面
流下式枝条架併用塩田では、2つの工程で濃い塩水をつくります。始めに瀬戸内海の海水をポンプで汲み上げ、ゆるい傾斜をつけた「流下盤」に流して循環させながら、太陽の熱で水分を蒸発させ濃い塩水にします。その後、竹の枝を組んだ「枝条架」の上から滴り落とし風の力でさらに濃縮させます。
「されど塩」は、この工程を繰り返してできた濃い塩水を平釜で煮詰めてつくっています。
塩は、「たかが塩」と思われがちですが、当社は「人間にとって日光・空気・水などと共に生命活動に不可欠な基本食料」と考えています。「されど塩」という商品名は、「たかが塩、されど(大切な)塩」との想いから名付けました。